【毒親から逃げる方法】なんてこの世に存在しないと思っていた私が、あっさり【毒親】を捨てた方法。

うつのお悩みに関するブログ

こんにちは。福岡県北九州市のうつ不登校相談・カウンセリングルームSmileAgain(スマイルアゲイン)です。

そもそも「毒親」とは何を指すのか?検索してみると「『毒』とたとえられるような悪影響を子供に及ぼす親」と出てきます。

暴力などの虐待を行っていなくても、過剰なしつけや束縛、見返りとしての愛(「こんなに愛してあげたのだから、面倒を見てもらって当然」など)を要求するなど、たとえ愛情ゆえの行動であっても、受ける側の子が「毒」だと感じたら、毒親にあてはまるのだそうです。

愛情がないかと言うと、そうではない。

いや、むしろ、私なりに、これでも精一杯両親には尽くしてきたつもりでした。

だけど、伝わらない。その結果、疲れ果てたのです。互いに。

(現在の仕事をする前、長く実家の家業を手伝っていました。3人姉弟の真ん中で姉弟の中では最も遅く結婚したため、長い独身時代を実家で両親と過ごしてきました。「精一杯尽くしてきたのに」と私が言うならば、両親の方にも「こんなに今まで良くしてやったのに」というやるせない思いがあるのだと思います。)

そんなことを考えていた折に見つけた雑誌「婦人公論」の特集「母が重い、娘がこわい」は、私には思わず目をそむけたくなる、だけど読み進めることを止められない、そんな内容でした。

かつて母に「毒親の概念」についてやんわりと説明してみたところ「私が毒母なら、あんたは毒娘よっ!」と即座に切り返されたことがあります(さすがは我が母。ナイスネーミングです)。

この人に何を訴えたところで、駄目なんだ。

【親の人生にあれこれ難癖を付けて、たいした努力もしていないくせに、自分の人生がうまくいかない「生きづらさ」を全て親のせいにする、面倒くさい「こじらせ女」】だと、私はこの人から、もう烙印を押されてしまっているから。

私って、さみしい人間かも?

(そう思うと、ますますさみしくなるんですよね(^^;))

娘の母親への気持ちは、同性ゆえに複雑です。

一卵性母子とか仲良し母娘とか見ると、イラっとします(笑)。自分がそうはなれなかったので。

”イラっとする”ということは、そういう仲の良い母と娘に、憧れる気持ちもあったということです。

一緒にしょっちゅうお買い物や旅行に出かけるような母と娘になりたかった。

お母さんから可愛がられたかった、愛されたかった、という気持ち。

自分の中に、そういう思いがあったことは、素直に認めます。

その後、私にも娘が生まれました。

私は、かつて母親の愛情をひとりじめしたかった思いから、我が子は一人しか産みませんでした。一人だけに、愛情を注いでやりたかった。

しかし、それは娘が望んだことだったのでしょうか。

私が母に複雑な感情を抱いたように、いずれ私も娘から、嫌われ疎まれる日が来るのでしょうか。

それでも、子どもは親の所有物じゃない。

あれから年月が流れた今、娘と私は、異なる人格を持つ違う人間なのだ、と気づいてはじめて、わたしは毒親を~ひいては、【毒親】(=に育てられたかわいそうな私)というキーワードに縛られた自分自身を捨てることができたのかもしれません。現在50歳を迎える私は、年老いた母にいまだ心配をかけ続けながら生きています。

自分ひとりの力で向き合うということはとても難しいし、誰かに助けを求めるというのはとても勇気がいることです。

だけど、ひとりじゃない。そう信じてもらえたら、嬉しく思います。

<参考文献: 「母が重い、娘がこわい」(婦人公論|2021年10月12日発行|中央公論新社)>

このブログを書いた、はらだりょうこについてはこちら