【薬をやめたい】私が、双極性障害と一生付き合うと決めて、幸せになるまでの18年間のこと。

うつのお悩みに関するブログ

こんにちは。福岡県北九州市のうつ不登校相談・カウンセリングルームSmileAgain(スマイルアゲイン)です。

私はカウンセラーであると同時に、双極性感情障害(=躁うつ病)の当事者でもあります(2022年に寛解⇒ADHD(注意欠如・多動症)の可能性ありと診断変更、定期的に通院継続中)

双極性障害と【診断】された、あの日のこと

初めて心療内科で診断を受けたのは今から18年前、30歳の時でした。当時婚約していた男性がいたのですが、結婚式の前に妊娠した事が相手の母親の逆鱗に触れ、(彼は母親の剣幕に怯えるだけで私を守ってはくれませんでした)婚約破談→妊娠中絶。     

あんな男のために不幸になんかなって、たまるもんか。

こんな事さっさと忘れて、絶対に幸せにならなければ。

そう言い聞かせて、必死に努力したり、必死に楽しもうとしたりしました。

英検準1級を取ったり、車椅子バスケットボール大会の通訳ボランティアをしたり、

ニューヨークへのプチ留学や、ドイツ南北縦断ひとり旅にでかけたり、

地元の青年会議所活動に参加したり・・

頑張っていれば、いつか必ず忘れられると信じていました。

そんなある日突然、電池が切れたように起き上がれなくなりました。

心療内科で下った診断は当初「うつ病」でしたが、後に「双極性感情障害」(以下、「双極性障害」と表記)に切り替わりました。

抗うつ剤と気分安定剤を処方されたけれど、副作用のひどい便秘に苦しむあまり

「自己判断で薬を中断する→再発する→先生に怒られる→しぶしぶ薬を飲む→嫌で嫌でまた勝手にやめる→また再発する」の地獄のループを何度も何年間も繰り返しました。

忘れたい一心で自分を何度も何度も鞭でぶって、必死に走り続けた結果が、これでした。

35歳の誕生日の日、“あぁ5年経っても忘れられないんだ”と思った事をハッキリ覚えています。

その後38歳で結婚、娘を授かるも、産後うつ→専業主婦としての孤独なワンオペ育児の中で、また何度も、躁(そう)と鬱(うつ)の無限ループの泥沼にはまっていきました。

双極性障害になって【悔しい・苦しい】こと

「私は病人でも狂人でもない。気分の浮き沈みが激しいだけ。どうか誰か、双極性障害だなんて誤診だと、笑い飛ばして。」その一心で心療内科を2度変わりましたが、3ヵ所全てから【双極性障害】の診断を下されました。

「双極性障害は一生治らないよ」「一生薬を飲まないといけないよ」

と平気な顔をして言い放った心療内科の先生。

「心臓病や糖尿病の人は一生薬を飲むでしょう。それと同じ事ですよ」

違う。それとこれとは全然違う。

私にとって一番つらく悔しかったのは、自分がたんなる「ウツ」ではなく躁うつ病=双極性障害=【精神障害者】であるという事実を受け入れられないことでした。

これまで楽しく頑張れていた日々は、【軽躁】状態に過ぎなかったのか?

色々自分なりにガンバった努力は、全て無駄に終わるのか?

そしてまた、何をやっても中途半端な自分から抜け出せず、人生において何も成し遂げられず、周りの信頼を失って終わるのか?

【双極性障害】と診断されると、再発予防のために「調子がいい時も活動はほどほどに」と言われ、【低め安定】を目指すことをすすめられます。

やりたい事も思うようにできない不毛な日々を、ただ空しく過ごさねばならない。

何かを成し遂げたい、私だっていつか何者かになりたい!と、一生懸命がんばっても、いつも必ずこいつが邪魔をする。

一生「再発の不安」におびえて生きねばならないなんて、私は嫌だ!

こいつに、【双極性障害】に人生奪われたまま終わるのは、絶対イヤだ!

双極性障害に与えられた【才能】

その後、47歳にして一念発起、産業カウンセラー試験に合格して、カウンセラーの資格を取得しました。

双極性障害でも『病気とおだやかに共存する人生』よりはむしろ、【たった一度きりの人生、自分らしく生きる】ほうを選びたい。そんな自分と同じ悩みや志を抱える仲間たちを、サポートしていきたい。

そんな夢を思い描いて活動を始めた矢先、次の文章(水谷心療内科こころの総合診療医BLOG)に出会い、自分のとんだ思い上がりに気づかされました。

「(中略)・・・医者の観点からすると、躁うつ病の共感能力や創造性などの魅力的な側面に惹かれるところはあっても、あくまで患者さんの健康と命があってのことですから、患者さんが天才的な能力を発揮することを目標にはしていられません。

たしかに躁うつ病の躁状態は、エネルギーにあふれて創造力が高まる時ではありますが、躁状態は病気の状態ですから必ず終わりが来て、その後には必ず抑うつ状態になります。

躁状態が激しければ激しいほどその後の抑うつ状態が強いものになります。

その時の抑うつ状態では「死にたい」という希死念慮が強まり、実際に自殺を企てる人もいます。また、躁状態の期間に比べ、うつ状態の期間は長く、患者さんの苦しみは強いものです。

(かのウインストン・チャーチルもうつ状態を「黒い犬」と呼んで抑うつをひどく怖れていました。)」

引用元|躁うつ病(双極性感情障害)と共感・創造力:「一流の狂気」とは
水谷心療内科 こころの総合診療医BLOG

私は双極性Ⅱ型障害で躁(そう)の症状は比較的に軽く、激しい躁状態が本人や家族に与える混乱や悲劇(借金、破産、失職、離婚、最悪の場合は自殺)等は未経験です。

自分の理想がどれほど甘く、ある意味で危険な考えだったか。ガツンと頭を殴られた思いでした。

別に「天才」でなくていいから、ただやりたい仕事(私の場合はカウンセラー)で起業して(雇用される仕事は体力的にも精神的にもきついので)食べていければいい。ただそれだけを望んでいるのに・・・。

双極性障害当事者である私には、所詮かなわない夢なのだろうか・・・。

絶望しかけた心でもう一度先生のブログに立ち返ってみた時、一筋の光が見えたように思えました。

「(中略)・・・心の病全てにわたって言えることですが、病む人には何らかの魅力や特長があり、それに惹かれる人々が周囲にいます。そんな魅力や特長が治療を妨げるように見えることもありますが(経験が少ないか思慮の浅い精神科医やカウンセラーはそのように見なすこともありますが)、彼らの魅力や特長を否定した治療は結局成功しません。

たとえ医学的な治療が上手く進んだとしても患者さんは幸せを感じません。

患者さんを真に満足させ、生き生きとしてもらうためには、彼らの生き甲斐や人生観をも顧慮して治療に当たるべきだと思っています。それが私の理想とする「納得診療」です。」

引用元|躁うつ病(双極性感情障害)と共感・創造力:「一流の狂気」とは
 水谷心療内科 こころの総合診療医BLOG

双極性障害のために何年間も空しく時間を浪費して、自分の才能を開花できず苦しんでいる人が、苦しみの元となる躁うつの波とうまく付き合いながら、天から与えられたその人ならではの「魅力」や「創造性」、そして「才能」はその人の個性として生かしたまま、自分のやりたいことで自己実現して幸せに生きていくためのサポートをしていく。

このミッション(天から授けられた、魂の使命)を胸に、今日もカウンセラーとして、そして何よりひとりの人間として、時には悩み苦しみながらも、一日一日をていねいに、大切に生きていく。

そして私自身が、たった一度きりの人生、どうせならば絶望の果てに自ら断ち切るのではなく、

双極性障害=ギフト(神様からの贈り物)」だったと、心から感謝して幕を閉じたい。

そう心にきめたあの瞬間から、私は双極性障害の苦しみから(完治していないにもかかわらず)解放されました。

一度きりしかない人生、【苦しみ】を択ぶか、それとも【喜び】を択ぶか。

決める権利は他の誰でもない、わたし自身にあるのだと心の底から思えた、あの瞬間から。

双極性障害を【理解されない】と感じて苦しい時は

もしも、あなたが双極性障害(その他こころの病もふくめて)に苦しんで、通院や服薬を継続していながらも、どうしても納得がゆかず、以下のように感じていたら。

① この先生は話を聞いてくれない。私の気持ちをわかってくれない。

② 治療が進むにつれ、自分が自分でなくなっていく気がする。

③ この病気のせいで本当にやりたいことも、あきらめないといけないのか?

ためらわず、まずはその思いを医師に伝えてほしい、そう願います。

私自身もかつて心療内科医のことを、所詮わかりあえる事はない敵なのだと、心を閉ざしてしまっていた経緯があります。しかし今振り返れば、先に勝手に心の扉を閉ざし、真実と向き合うことを拒絶してしまったのは、私の方だったのかもしれません。

私たち「患者」はどうしても「先生」に遠慮してしまいがちですが、医師も人間である以上、こちらが伝えることで初めて「そうだったんだね」とやっと理解できる、という事もあるかと思われます。 

それでもなお違和感が消えないならば、遠慮なく、自分に合う他の主治医を探してよいのだと思います。医師と患者、人間同士である以上相性もあるだろうし、本当に患者の意思を尊重する優れた医師ならば、「完治する」という事よりもあなたにとってはもっと大切な、「一度きりの人生、自分らしく生きたい。」という純粋な思いをきっと理解してくれるはずです。(万が一それで怒り出す医師ならば、もともとご縁がなかったということでしょう。)

双極性障害とともに私らしく【幸せになりたい】そのためにできること

双極性障害と初めて診断されてから、18年が経ちました。

この病を克服したくて数えきれないほどの方法を試し、その中には自分に合うものも合わないものもありました。この病には十人十色、いえ、当事者の皆さんが1000人いるとしたら、それぞれに違う1000通りの方法があるのだと、実感しています。

病院も薬も敵ではなく味方である、と信じることで開ける道もある、と私は思います。だけど、他人(肉親も含めて)に強制されるものではなく、決める権利は、あなたにあります。

どうか、他人の意見に振りまわされずに、決してあきらめずに、あなた自身が心から納得がいく方法を、見つけてください。

そしてどうか、「本当のあなたらしさ」を理解できる、良きカウンセラーに出会えることも、願ってやみません。

上質なカウンセリングは、「あなたがあなたらしく幸せな人生を生きる」ためのサポーターなのです。

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(引用元|躁うつ病(双極性感情障害)と共感・創造力:「一流の狂気」とは

 水谷心療内科 こころの総合診療医BLOG)

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