「置かれた場所で咲きなさい」この言葉が嫌いだった理由。

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渡辺和子さん(修道女にしてノートルダム清心学園理事長。2016年没)の書かれた「置かれた場所で咲きなさい(幻冬舎:2012年発行)」

「心が洗われた」「勇気がもらえた」「自分を見つめ直すきっかけになった」という肯定的な感想の多い名著ですが、意外にもサジェスト(一緒によくネット検索されるキーワード)として「嫌い」という言葉が出てきます。

『子どもは親の「言う通り」にはならないが、「する通り」になる』『神は力に余る試練を与えない』『この子は私だったら育てられると思って、神がお預けになったのだ』・・・一児の母となり娘もつつがなく育っている今になって読み返すと、慈雨のように心に沁みわたってくる言葉の数々ですが、10年余り前の私(婚約破断の末に妊娠中絶し、その後良縁にもなかなか恵まれず、実家暮らしで両親といさかいが絶えず、荒んだ心で日々を過ごしていた)だったら、この本をそっと差し出されたところで、一行たりと読む事もなく古書店に売り飛ばしていたと思います。

あらためて「置かれた場所で咲きなさい」という言葉が「嫌い」だという数々の思いを読み進めてみると、「戦災・虐待・貧困等で人間としての尊厳さえ奪われ、もはやそこから這い上がる気力さえない人々をさらに絶望させる言葉」「ブラック企業でパワハラにあっていようが、今の環境で耐えなさいという事ですか?」といった言葉が目にとまりました。

今、コロナ禍の中で、本当に苦しい状況に置かれ、生きる事に絶望している人は、老若男女問わずこの日本にもあふれています。

仕事にあぶれ、住む家さえ追われた人たち。

家庭の貧困のために学校に通えず、未来に何の希望も描けない若者。

実の親から虐待されている子ども。おなかをすかせて動けないでいる子ども。

そして、今まさに死のうとしている人たち。

そんな人たちに「今置かれている状況で、ひとすじの希望を見出しなさい」と、言えますか?

映画「ある人質 生還までの398日」(シリアで過激派組織IS(イスラム国)の人質となり奇跡的に生還を果たしたデンマーク人の写真家ダニエル・リューの実話を元に映画化。アナス・W・ベアテルセン監督)の事を思い出したのは、そんな自問自答を繰り返す日々の中でした。

(↓以下、これから映画を見る予定で内容を知りたくない方は、飛ばしてください)

戦場カメラマンとしてシリアを訪れたダニエルは、過激派組織「イスラム国」の兵士に拉致・監禁され、母国の家族には巨額の身代金が要求されます。連日の凄惨な拷問と飢えに苦しむ中で自殺さえ図るものの未遂に終わります(自殺を引き止めたのはイスラム国の兵士だったのですが、止めた理由が「死なれると身代金が取れなくなるから」だったと知り、震撼しました)。

絶望の日々の中、新たに人質として加わったジェームズ。彼は、わずかな段ボールの切れ端でチェスを作ったり、どんな時もユーモアと希望を忘れない人でした。

そしてダニエルは家族の必死の奔走の末、身代金が支払われ、釈放されます。

ダニエルとの別れに際してジェームズは、愛する家族への伝言を託したうえで、こう告げます。

「君は、ここの事は忘れて日常に戻れ。僕は・・・ここでの日々を、もうしばらく楽しむよ」

「ヤツらの憎悪に負けたくない。僕の心にあるのは愛だけだ」

私はもちろんあなたも、おそらく世界中のほとんどの人が、ジェームズのようには行動できないと思います。「どんな辛い状況であろうとも、今置かれている場所で、ひとすじの希望を見出しなさい」そんな事を言う資格は私にはありません。

だけど、やっぱり「0.001%の希望」でも、しがみつく事で楽になれるものなら、しがみついて生きたい。

今の私に思えるのは、これだけ。

(「置かれた場所で咲きなさい」の渡辺和子さんの脳裏にも”本当に過酷な状況に置かれている人”の存在は常にあったものと、今は信じています)

引用元|

「ISの人質 13カ月の拘束、そして生還」(プク・ダムスゴー著:光文社新書刊)

映画「ある人質 生還までの398日」

映画『ある人質 生還までの398日』公式サイト
2月19日(金)全国公開『ある人質 生還までの398日』公式サイト|ぼくは、生きて帰れるのか―― 398日間にわたってIS(イスラム国)の人質となり、奇跡的に生還したデンマーク人写真家ダニエル・リューの衝撃の実話を映画化。
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