自称「不登校カウンセラー」だった私。我が子がまさか不登校に⁉【原因と解決策】

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不登校=わがまま?ずるい?許せない?

娘が3学期になってほとんど学校に行かなくなりました。

理由を訊いてもへらへら笑いながら、

「勉強がめんどうくさい」

「体育がめんどうくさい」

「椅子が固くておしりが痛い」とかくだらない理由を並べるだけ。

頭が痛いわけでも、おなかが痛いわけでもないのに。

いじめられているわけでもないのに。

そんなの、なまけたいだけじゃないか。

寒い教室に座って授業を受けるよりも、部屋のベッドでゴロゴロしながらスマホをやりたいだけじゃないか。

コロナ自粛で家にいる快適さからしょせん抜け出せなくなっただけじゃないか。

“不登校”。何て嫌なネガティブな言葉なんだろう。

まるで私の娘が社会不適格者みたいじゃないか。

絶対受け入れられない。許せない。

これまで「お子さんの不登校に悩むお母さんに寄り添うカウンセラー」を名乗り、「不登校の解決策は原因探しをしないこと」などと高尚な理屈を並べていた自分は、崩壊しました。

お願いだから戻って。

朝ランドセル背負って黄色い帽子をかぶってお友達と手つないで、とことこ横断歩道を渡って行ったあの○○ちゃんに。

どんなに朝泣きじゃくりながら出かけても、「ただいま!」と満面の笑顔で私の腕の中に帰ってきたあの○○ちゃんに。

どんなに行きたくないって駄々こねて泣いても、抱きしめる私の腕の中で「よしよし」ってされているうちに、いつの間にか涙ふいてランドセル背負って歩き始めてた、友達もいっぱいいてみんなから好かれて誰からも愛されていつもにこにこ笑ってた、

がんばりやで、いじらしくて、可愛らしかったあの日の○○ちゃんに、お願い、戻って。

そんな切ない母の願いをよそに、部屋の扉も心も閉ざして毎日くだらないスマホゲームばかりしている娘に腹がたって、ある日散歩に出かけました。

満開の桜、足元のタンポポ、あたたかいおひさまの光。

世界はこんなにも美しいものであふれているのに、あの子はどうして外に出てこんな素晴らしいものに触れようとしないんだろう。

どうして誘ってもついてこなくなったんだろう。

どうしてここに娘は私と一緒にいないんだろう。

そう思って無性に悲しくなりました。

そして、愕然としました。

私は「子どものためを思って」とか言いながら、自分が望む「理想の娘」の役割を、娘が演じてくれなくなったことに、腐っていただけだったのです。

【不登校の原因】心を閉ざしていたのは、母親である私だった

「何でママに話さないといけないの?」

学校に行かなくなった理由を懸命に問いただそうとする私に、娘がこう答えた時は、ショックでした。

だけど、理由なんて本人にもはっきりとはわからないのです。

そして何を話しても「うん、わかるよ。でもね~」と心配と否定しかしてこない相手に、誰が心を割って話そうと思えるでしょうか。

先に心を閉ざしていたのは親である私の方だったのです。

思えば彼女が学校に行かなくなってから、私は(仕事や夫との問題その他の屈託も重なって)笑えない日々を送っていました。

娘が「見て見て!オモシロい!!」とスマホのゲームや動画を見せるたびに、「すごいねー」とうわべだけはあいづちを打ちながら、

「学校にも行かないでこんなくだらないゲームばっかりして。」

「勉強もろくにしないでこんなくだらない動画ばっかり見て。」

と、心の中で毒づいていたのです。

娘は、すぐ目の前で私に笑いかけていたのに。

娘は、まっすぐに私を信じてくれていたのに。

翌朝私は心を入れ替えて、娘のお気に入りのギャグ動画を大声で歌いながら踊ってみました。

久しぶりに笑顔を取り戻してくれた娘。

そしてまたしても、私は気づかされました。

娘は笑わなくなった私を心配して、必死にピエロ役を甘受してくれていたのだと。

笑いと幸せの神様が私に遣わせてくれた天使が、毎日毎日一生懸命プレゼントを差し出してくれていたのに、私は手を差し出すどころか、全て天に蹴り返していたのだと。

「フキハラ(=不機嫌ハラスメント)」という言葉の通り、私の眉間にしわを寄せた表情から発する毒が、どれほど子どもの心を痛めつけていたのかを。

先に述べた仕事や家庭の問題からくる悩みも、天からの当然の報いだったのです。

現実問題は変えられなくても、屈託=憂うつや不機嫌は思い立ったその瞬間に捨て去ることができるのです。

本当の【不登校解決策】とは?

私は私のことをする、あなたはあなたのことをする

私はあなたの期待に沿うためにこの世にいるのではない

あなたは私の期待に沿うためにこの世にいるのではない

あなたはあなた、私は私

それでもしお互いが出会うなら、すばらしい

もし出会えないなら、しかたない

 Perls,F.S.(1969).

(ゲシュタルトの祈り

 フレデリック・S・パールズ

 岡田 法悦 訳)

心を閉ざしてしまった子どもに必要なもの。

それは、無条件の愛と信頼です。

それ以下のものを、彼らは決して受けつけません。

だいじょうぶ。条件付きの愛は、もういりません。


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