38歳で出産・・・今度は産後うつに

37歳でやっとめぐりあえた夫と結婚。

そして38歳で、待望の赤ちゃんを授かりました。

「奥さん&ママになりたい」という長年の悲願が叶い、当初は幸せの絶頂♡でした。

だけど、夫は仕事で夜遅く、ずっと家に閉じ込められて、赤ちゃんとふたりぼっち。

24時間つぶらな瞳に監視されてる息苦しさ。

夫に「たまには育児を替わって」と懇願しても、「仕事で疲れてる」の一点張りで、

泣き止まないわが子に「うるさい!」と怒鳴って、泣かせてしまうのをやめられない。

こんなに可愛くて可愛くてたまらないのに・・・。

誰にも会わないからお化粧もせず、何日も洗濯してない同じ服を着て、

子どもが眠ったわずかな隙にコンビニに走って、週刊誌をむさぼるように立ち読みして、

買いあさったポテチやチョコやシュークリームを食べつくす事だけが、生きがいでした。

独身の頃かかっていた心療内科を再び受診するも、ただ同じ薬を機械的に処方されるだけ。

私の病気は一体何なのか?そもそも私は病人なのか?

と尋ねても「詳しいことはインターネットで調べてみて。」

カウンセリングを求めても、ただ機械的に「樹の絵を描いてみて(※見よう見まねの心理検査だったのだと思います)。」

「お願いだから、5分でいいから、私の目を見て話を聞いて。」

傍目には「可愛い赤ちゃんを授かった幸せなママ」だったかもしれません。

でも、私のこころは悲鳴をあげて、再び壊れかけていました。

藁にもすがる思いで、娘が2歳の誕生日を迎えるのを待たず、幼稚園のプレ保育に入れました。

初めて登園した日「ママ、ママ」と泣きじゃくる娘を振り切って飛び出した瞬間、私も泣きました。

幼稚園バスから降りるなり私の胸に飛び込んでくる娘を抱きしめ、小さな手をつないで帰った毎日。

年中さんまでおむつがはずれなくて「一生おむつのままなんじゃないか?」と本気で心配したこと。

「行きたくない」と泣きじゃくる娘を、ただ抱きしめることしかできなかったこと。

幼稚園には5年間お世話になりました。子育ての不安も喜びもぎゅっと詰まった、一番幸せな5年間でした。

その後娘は、小学校入学頃から朝の登校時に、「行きたくない・・」「おなかがいたい・・」と、涙をぽろぽろこぼすようになりました。

子どもの将来のために無理矢理にでも学校へ連れて行った方がいいんだろうか・・・と悩み、「娘の心がわかるようになりたい」、その一心で47歳を目前にして、カウンセラー養成講座の門を叩きました。大学院入試に落ちて、臨床心理士の夢を諦めてから、25年越しの挑戦でした。

そして、いつものように娘の話に耳を傾けていたある夜のこと。
「ずっと、こんな時間がほしかったんよ・・・」
娘がぽつりとつぶやいたそのひと言に、ハッとしました。

自分が今までいかに、娘の話をうわべだけしか、聞いていなかったか。
親としてどう諭すべきかに心を奪われ、どれほど娘の気持ちをないがしろにしてきたか。

そして、そんな母親の姿に、娘がどれだけ悲しい思いをしてきたか。
その日を境に、私は決意しました。

「この子の進むべき道は、この子がちゃんと知っている。何があっても、私はこの子を信じよう。」

それからの娘は、相変わらず時々、「学校に行きたくない」と、月に何日かはお休みする日々が続きましたが、私が「どうしても行きたくない日は無理しなくていいよ。」と気楽に構えるようになると、また自然と自分から、元気に登校するようになりました。

私自身はその翌年、晴れて産業カウンセラー試験に合格し、一般社団法人日本産業カウンセラー協会へ会員登録をすると同時に、「カウンセリングルーム SmileAgain(スマイルアゲイン)」を(無謀にも^^;)立ち上げ、現在に至ります。

20代、30代、40代と楽しいこともつらいことも山ほど経験してきましたが、無駄なことなど一つもなかった。

そしてこれから迎える50代、60代、70代、80代・・・。

女の人生、これからがもっと面白い!と今からワクワクしています。

SmileAgain(スマイルアゲイン)=もう一度、笑おう。
何度でも泣いたっていいよ。そして、何度でも、笑おうよ。

いつだって、あなたと一緒に。

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